主婦の書く官能小説

お気楽主婦が暇に飽かせて書いた官能小説です。

毒牙(4)

去年の冬の賞与の支給後、太田は久々にキャバクラに足を運んだ。住宅ローンの返済と二人の子供の教育費に追われる太田には、一度行けば15,000円はかかるキャバクラは高嶺の花だった。だが、家に帰れば、日常的に不機嫌な嫁の視線を気にしながら手酌で発泡酒を飲むのが関の山の彼にとって、着飾った若い子が酌をしてくれるその手の店は、言わばパラダイスだった。

「化学の先生?すっご~い!」
「理科、あたしめっちゃ苦手だったんですよ~。特に化学!」
「直列とか並列とかでしょ」
「それって電気だから物理じゃない?」
「あ、そっか‼キャハハハハ…」

そんな会話をすれば自然と目尻も下がる。
「嘔吐下痢症ってあるよね。その原因となるノロウイルスってのはね、アルコールじゃ死なないんだ。なぜかって言うと、アルコールはウイルスを覆って保護してるエンベロープっていう膜を溶かすんだよ。ところが、このノロにはそもそも、その膜自体がないんだ」
などと言えば、嫁なら「ふーん」と気のない返事をするだけで、すぐさま芸人が雛壇で騒ぐだけのバラエティーに視線を戻すものだが、ここの子たちは
「うそうそ!強敵!」
「じゃあ先生、どうやって消毒するの?」とすかさず突っ込みを入れてくれる。

「うん。一番いいのはね、君たちの家にもあると思うけど、塩素系の漂白剤。塩素っていうのは酸化力が強くてね、まあ、ここから先はちょっと話が面倒くさくなるけど、要はウイルスの体の中に酸素を送り込んで不安定にしちゃうんだ」
「おお~塩素すごい」
「先生の話、お役立ち!」
などと口々にリップサービスをしてくれる。それが営業トークとわかっていても、彼にとっては至福の時だった。

加えて
「ね、塩素系の漂白剤ってさ、あれに臭い似てない?」
「やだぁ、リサったら何言ってんの!!」
「いや、どっかで嗅いだ臭いだなぁとか」
「信じらんな~い」
「でも…似てるかも…」
「やだぁ、クミまで…ギャハハハ…」

などと言う会話を聞けば、アルコールによるものとは別の火照りを覚えたりもする。

その晩も、大枚2万円近い勘定を払い、3人のキャストの女の子に見送られ、雑居ビルのエレベーターを降り通りに出た時に正面のゲームセンターから出てきたのが藤ヶ谷だった。

もちろん、太田とて、学校のある街やその隣街で飲むような脇の甘いことをしたのではない。その点は教員が最もナーバスになる点だ。同僚と縄のれんで一杯やる際でもわざわざ電車に30分揺られて離れた街に向かう。煩わしいとは思うが、どこで誰に見られ、誰に話を聞かれているか分からない。

ましてやキャバクラ、出入りを見られたら致命的な類いの店だ。だからわざわざ電車を二本乗り継ぎ、およそ城南の生徒や父母のいない街にまで来た。それなのにこともあろうに、ここで教え子に出くわすとは!

藤ヶ谷はくわえタバコで赤いシャツにグレーのベスト、黒のズボン、という出で立ちだった。客ではなく、ゲームセンターの従業員だったのだ。

「お、先生!」
「お前、こ、こんなところで何を?」

さすがに火をつけたばかりのタバコは投げ捨て、「バイトっすよ」と藤ヶ谷は低い声で答えた。
「届け出は?してあるのか?」
「バイトの届け出?してるわけないっしょ」
「それ、まずいだろう?」
やつは口の端を歪め、夜空を見上げた。

「まあここでは何だから、明日、昼休みでも放課後でも俺のところに来い。いいな」
そう言い残し、笑顔を向けて踵を返したものの、太田の心は千々に乱れていた。

(俺が出てきたビルは見られたか?ビルは見られたな…他にあのビルはどんな店が入っていたんだ?確か2階は焼肉屋だった。3Fは…サラ金か?…分からん…どこまであいつに知られたんだ…。くそ、何だって生徒に、しかもよりによって藤ヶ谷にこんなところで出くわすんだ!)